Retinueシステムがわかりづらかったのでメモ。面倒なので直属軍システムと呼ぶことにしよう。この直属軍/Retinueを創設するには、まずキャパシティを確保しないとならない。上のポップアップ表示の真ん中辺りにあるRetinue Cap:1027というのがそれ。
このキャパシティは、下段に表示されているように、領邦全体の兵数に”軍事的組織化”のテクノロジーの領邦内の平均値を(そのままかどうかわからないが)掛けたもののようだ。上ではテクノロジーの平均が1.3なので総兵力7905のうち13%、1027人がキャパシティ。
キャパシティは家臣の評価で増減しない。直轄地を封臣にあてがっても減らない。軍事施設を立てたり領土を増やせば増える。家臣の反乱が起きればそのぶん一時的に減少するが、キャパシティが不足しても創設済みの部隊が解散されたりはしない模様。
直属軍のタイプは5種類あって、それぞれ創設するのに必要なキャパシティが異なる。おそらく4つは全文化共通で、ひとつは文化固有。ビザンティンの場合、必要キャパシティは最も少ないので600人、最大で1600人かな。上のポップアップはカタフラクト部隊になっている。キャパシティを超えない範囲でなら複数の部隊を自由に創設できる。
どのタイプを選んでも兵数は一部隊500人。重装歩兵一人を賄うために人員2名必要、など兵科によって違いがあるため、兵科構成によって必要キャパシティも異なる。創設コストは30~120程度。維持費はかからないが人員を補充するあいだだけコストがかかる。カタフラクト部隊だと月あたり3.6。多分数ヶ月で満員になったと思うので、補充費は10前後か。非常に高価という事前情報だったが、それほどでもないようだ。
じゃあ直属軍システムはゲームバランスを変えるようなものなのかというと、そんな感じはほとんどしない。
ゲーム開始から130年くらい経過して、10プロヴィンス(うち直轄地5)のアテナイ公のキャパシティが5000ちょっとだった。4部隊運用して2000人。これは軍事施設を優先して立てた首都プロヴィンスと同じか少し少ないくらい。安い傭兵が1500人だからそれよりわずかに多い。同じ強さとは限らないけど。まあ、中盤以降は農民反乱を鎮圧するのに使えて便利かな。
ちなみに直属軍はそれが含まれた軍団を解散しても残る。直属軍だけを選んで解散すると消滅する。一応注意のメッセージは出るがわかりにくく、どの部隊が直轄軍なのか明示されないので何度も間違って解散してしまった。
さてアテナイ公の続き。
宦官のキンキンに裏切られたアントニオス1世は30代の若さで死亡し、生まれたばかりの長女のエウファミアが0歳で跡を継いだ。翌年忘れ形見の弟が生まれた。
ところでエウファミアの母親はたまたまアカイア公の妹だった。おじであるアカイア公はのちにキプロス公位を継承したのだが、反乱戦争に身を投じて敗北し目を潰されていた。しかもその後、地元の伯にアカイア公位を簒奪されていた。ふんだり蹴ったり。
そこで母親をアカイア公にするために出兵。
ギリシャ半島の付け根で決戦し勝利。
うまいこと母アレクシアをアカイア公につける。がよく見ると後継者には生まれたばかりの弟が指名されてるじゃないか…。
成人したエウファミア。なかなか美人だが間違って結婚してしまった。すぐに離婚して弟に継がせるよう画策する。といっても帝国の権威が低迷していて選挙制か分割制しか選べない。
しばらく後のこと、捕虜を片っぱしから去勢してた女帝に対する反乱が起きる。アテナイ公は味方しなかったが、アカイア公たる母は反乱に参加。ぼーっと見てたら育成中の直轄軍を粉砕される。ちょうど通り道だったのね…
帝位を奪われたアンチパトラ。しっかり目を潰されています。怖いよ。これが1167年。
しかし一代で東にも西にも領土を伸ばした女傑なだけあって、帝国各地に領土をもつ最大勢力。そんなアンチパトラが帝権の引き下げを狙った派閥を開始。すかさず参加。
何年後か忘れたけど、見事に成功!
1181年のアテナイ公勢力図。この他にもう一つ領地がある。
1184年、なんと北に遠征に行った弟が戦傷死。甥があとを継いだ。
その頃の文化分布図。アナトリア中部はゲーム開始直後にファーティマ朝に奪われたためかエジプト化している。。
同じ頃の中央ヨーロッパ。クロアチア王国とシチリア王国南部を併合し、ドイツ内乱に乗じてケルンテンも征服。別のプレイでも同じくらい伸びていた。やはりビザンティンの専用CBが効きすぎているように思う。
甥のアカイア公も若くして死に、エウファミアが60歳余で没するまでに4代も世代が変わっていた。しかも選挙制では未成年を後継者に選べないという…(たぶん実子以外)。
このあたりで止めて次はエチオピアのアビシニア王家へ。