ビザンツDLC+1.07+1.08の雑感

直属軍
グルジア王国でプレイ中、ビザンツ帝位を継承してから直属軍をせっせと増設した。継承直後は2万くらいしかいなかったが、70年の統治の末、7万くらいまで増えた(マンパワー13万くらい)。ここまで増えるとほとんどの農民反乱、封臣の謀反、小国の征服戦争は直属軍だけで済んでしまう。内乱が起きても直属軍はそのまま手元に残るので戦力計算ができて便利。指揮官を任命し直さなくてもいいし、かき集めて大きな部隊に編成する手間もかからない。連続で開戦するときも動員解除しなくて済む。しかし一気に補充しようとすると月130gかそれ以上かかる。月収は22gくらいなので超大赤字。補充費でホールディングスを2つ3つ増やせてしまうほど。普通に考えたら無料で補充できる動員兵のほうがずっと得だ。でも便利なんだよなぁ。

派閥
鬱陶しい。特に独立派。まとまった地方が独立するならともかく、各地でバラバラに独立してどうする気だ。帝国内に王国を創設するかは難しいところ。少諸侯をたくさん置いとくほうが団結しにくいはずだが、こまめに派閥タブを見て巨大化する前に処理するなら、王国を設立して諸侯の数を少なく保つほうが楽かもしれない。

目潰し、去勢
今更ながらディシジョンの中にあることに気づく。目を潰されると反乱しないのかと思ったが、派閥には普通に加わってた。

1.08
兵を動員するとひとつのプロヴィンスに一つのまとまったユニットが登場する。わざわざ統合する必要がなくなったので便利。

カウンシルメンバーの従軍禁止はそれぞれの役職ごとに設定できる。例えば外交官を当分使う予定がなければ外交官だけ従軍禁止を解除したりできる。従軍中に禁止すると指揮官を解任されてすぐ戻ってくる。

1.08からかわからないけど代替わりしたら生まれの卑しい家臣が一掃された。最大114人もいたのに一気に20数人に。あとやはり直属軍を新設したら生まれの卑しい家臣が自動で登場してたような。それがなくなって際限なく増えなくなっている。

1.08

結局SIは買おうか迷い中。1.08はマイナーパッチだと言ってたが、けっこう重要な変更が多いように思う。括弧内は私のコメント。

  • 直轄軍はフリーな指揮官を得なくなった(Lowbornな人物が勝手に増える現象が起きなくなったんだろうか)
  • プロヴィンスビューで動員された兵士は、選択中のプロヴィンスに出現する(動員場所をある程度選べるようになる模様)
  • カウンシルのメンバーが軍を率いることを禁じることができる(これは便利)
  • 継承順の処理の最適化。多数の土地持ちの一族がいる巨大な家系では大幅なスローダウンの原因となっていた(ほう)
  • 傭兵と神聖騎士団の指揮官が死亡すると自動的に新しい指揮官が登場する(へー)
  • ビザンツの再征服CBは、復興ローマ帝国だけで使えるようになる(クロアチア王国は生き延びられるようになるな)
  • 複数の軍部隊を選択している時に、非直属軍が含まれていれば直属軍は解散されない(複数のユニットを選択して解散するとき、”直属軍と非直属軍を統合した部隊”が含まれていれば直属軍だけが残った。しかし”独立した直属軍”が含まれていると、それは解散してしまっていた。たぶんこの問題が解消されたということだろう)
  • 直属軍は金がマイナスの時には補充されない(今までは金がいくらマイナスになってもどんどん増強されていた)
  • AI:王権を引き上げ過ぎない(好みの王権の強さは、人物の性格と相関すればいいのに。それともしているんだろうか)
  • 全軍動員ボタンやプロヴィンス動員ボタンで軍を動員すると、ユニットは統合された状態になる。

グルジア=ビザンツ その5

 1233年の図。ムスリムはアナトリアから駆逐されたが、ポーランドの領地が鬱陶しい。

 んでまた、はーんらん。グルジア王国が独立したいんだってさー。

 1237-1240の内戦が終わった。全員降伏するまで(戦勝点100になるまで)戦ったので時間がかかった。捕まえた奴らはほぼ全員目潰しである。

 独立していたモルダウ併合。

モルダウ戦争中の周辺地図。ルーシ、ルテニアは分裂気味。キプチャクハン国も登場して急速に勢力を伸ばしている。

 南のほう。セルジュークは何故かリビアに残っているだけ。ファーティマも小藩主に分裂している。

 モンゴルに占領されないうちにレヴァント地方に侵攻する。

 ル、ルーシが~。ルテニアも~。モンゴルにがっつり囲まれてます。なぜかせめて来ないが…

 せめて来ないのでギリシャの先端にあるムスリムを攻める。

 1274年、またしても独立戦争。

 下ドン伯のたった一つの領地から8万もの軍勢が現れた。なんでよ。即位してからはじめての全軍動員をかけるが、軍勢を集める間に自動敗北の戦勝点-97近くまで達する。先行した直属軍6万のうち、敵主力にぶつけた3万は壊滅。結局なんとか敵主力は破壊できたのだけど、それだけでは戦争が終わらない。占領された領地を奪い返し、反乱国の広大な領地を一つずつ落として行ってちょっとずつ戦勝点を稼ぐ。これが激しくめんどくさい。主力壊滅したんだからもう勝ち目ないだろおまえら。

結局この戦争を終わらせるのに6年もかかった。激しく戦って6年ならいいけど、ほとんどは地味な領地占領に費やされた。不毛なり。あまりに面倒なので、ほんとうは参加者全員の目を潰したかったが白紙和平だけで済ませる。

 終結前にダミアノスは90歳で死去し、70歳の時の息子カイサリオスがあとを継いだ。

おめめぷちゅっと。
「足元よく見な。つまづくなよ」
カイサリオスの優しさが光る。

このあとまた反乱が起きたので嫌気が差して中断中。

グルジア王国その4

ところでここに至って弟の孫がビザンツの皇帝として戴冠していたことに気づく。急遽、息子を後継者から廃して弟の息子(皇帝の父)を後継者に指名。選挙制なのでほかの二人の選挙人に賄賂を送って一人を転向させることに成功する。

これは甥ネルス2世が相続した後の弟(ネルス2世の父で皇帝の祖父)。

 しかしネルス2世の治世は内乱対処にあてられた。また独立運動だよ。

 首謀者は大王の弟の子。つまりいとこ。

そうこうしているうちになんと皇帝である息子がムスリムとの戦いで戦死><;
息子(ネルス2世の孫)が跡を継ぐ。選挙人は国内の人物を後継者に選びたがり、継承権第一位がコロコロ変わって安定しない。試しに別の候補者を投獄してみたが、別の国内の一族が新たな後継候補に選ばれてしまう。が、なんとか運良く孫が第一位の時に相続が起きる。

1215年、グルジア国王ネルス2世は死去し孫のバシレウス・ダミアノスが王国領を相続した。祖父はアイルランド系のカトリックで、孫はギリシャ系の正教徒だ。

ビザンツは南で戦争中だったので状況を整理するためいったん停戦する。

 所領多すぎのため再分配。高齢の曽祖父をチェルソン公に封じる。

 んでまた内乱。アゾフ公が独立を画策。文化がギリシャ系になったので目潰し、去勢が可能。

 ボヘミア王からは王位を取り上げる。目潰し/去勢してしまうと自動的に開放されてしまうのでタイトル剥奪は先にしないといけない。

 この頃の派閥。独立派を潰したあとなのにまた新たに設立されてる。

グルジア王位は相変わらず選挙制で、いちいち次を選ぶのが面倒だ。しかも王国の版図は帝国の北半分もある。そこでカルトリ公にグルジア王位を与える。この場合、ついていく領地はde jureな部分のみ。しかしこのあと反乱を起こされて家臣の一族に奪われていた。更にその後再びカルトリ公が奪い返していた。反乱起きすぎ

ついにイルハン国登場。1227年。

グルジア王国その3

 リャザン公は戴冠してルテニア王国となっていた。

旧ビザンツ領への侵入を試みる。しかし1万以上の傭兵部隊が登場して白紙和平。

その間にクマンとも戦う。ビザンツはもう当てにならず、その代わりに自力で対処できるようになっていた。

ニカイアの藩王国へも攻めこむ。これも撃退されるが…。
このあとポーランドがアナトリアへの聖戦を成功させて食い込んでくる。

1173年時点。ファーティマ朝はだいぶ駆逐された。

 この頃の派閥。独立派がやたらと反乱をこす。割愛しているけど4回ほど内乱が起きている。

5度ほど戦ったクマンの女王。

ついにブルガールも奪い、マップ中央部から 追い出すことに成功。長かったよママン…

同盟政策のために娘を送り込んだハンガリー王。25歳の若さでドイツ軍と戦い戦死してしまった。

 この頃の宗教分布図。テングリがまだだいぶ残っている。カトリックが広まりつつあるのは、宗派を無視してカトリック教国から嫁をもらい続けたためかもしれない。

また独立派が反乱。

 1193年。TYUMENというのが旧クマン王国。カスピ海沿岸のBURKAHが独立し、北部はウラディミール公とルーシ王国に制圧されて風前の灯。

 クリミア半島先端がビザンツから独立していたので侵攻。

 いつの間にか大王の称号を得ていた。天才持ちなのでかなり見栄えがいいが、天才がなかったら凡人です。

クリミア半島に唯一残っていた独立勢力はルーシ系なのでなかなか攻められなかったが、臣従を拒否したのでついでに征服してしまう。

グルジア王国その2

クマンに攻められたわけだがいつもどおりビザンツの助けを借りて撃退し、ついでに敵の若き王を戦傷死させる。ガッハガハガハ。

 そのご分裂状態になったクマンの一部、アゾフ伯を攻める。もちろんこちらには助太刀がいる。

さらに西進。クリミア公も南半分を併合。

1099年、この頃の領土。クマン領はだいぶ削れたように見えるが、東のほうにかなり広く残っていてまだ自力では厳しい雰囲気。

このあとギリシャもファーティマ朝に奪われ衰退が始まる帝国。

 北ではルーシが勢力を伸長している。

 代替わりしたのでビザンツと婚姻。衰退しつつあるが彼らは我が国の生命線だ。

宗教分布図。  クリミア周辺の領地はテングリ教かな。異教徒による征服ペナルティは長いので転向作業をすすめる。

 ビザンツが分裂したセルジューク朝系国と戦争を開始したので負けずとこちらも侵攻。序盤に戦ったイスラム諸侯の最後の領土だ。

1104年、初の内乱。カルトリ公1人だが…

大部分の新領土はまだペナルティが解けていないので動員できない。戦力は五分に近く、内乱の尻拭いまでビザンツに任せてしまう。

 公位を奪いカハティ伯に与える。今までは牢獄につないでおくだけだったけど厳しく対処することにしよう。

 
 王権はミディアムへ引き上げ。

 その頃北では…ルーシがたいそう権勢を誇っていた。

 そのちょっと南(我が国と領土が接している)には同族のリャザン公国。なので攻めにくい。

 この時代の派閥。95%近い派閥があるんですが…((((;゚Д゚))))

 そんなこんなで北にも西にもいけなくなったので少し東へ。サライ周辺を併合。

 ルーシとも婚姻。子供を残さずに死んだりするので同盟を継続するのは意外と難しい。

 1119年、なんといったん反乱で公位をうばったのに、反乱を起こして公位を再奪取しおった!

 この頃からやたらと独立派の反乱が増える。25%くらいでも反乱するんだよなぁ。

 1122年、改宗がすんだので、ホールディングスが5つあるクリミアに遷都。

 ビザンツは相変わらずファーティマと戦っていた。
 

 カルトリ公(息子)再び反乱とか

 クマンの女王と戦ったり、

しているうちに気づいたらアナトリアの大部分がファーティマに支配下になっていた。領地接してるし!あやうし!グルジア王国((((;゚Д゚))))

グルジア王国その1

アステカDLCを前にして、1度くらいはモンゴルとやりあっておくかと東側の国ではじめてみる。

 グルジアは黒海に面しており、南西のビザンツとは同盟関係にある。南東はムスリムの藩王国。北のアラニアは正教で友好。更にその北には大国クマンがどど~んと。

 継承法は分割法なのでまず王権を一段回引き上げる。

 同族の隣国カヘティ伯に臣従を要求して併合した後、イスラム国のカルトリへ侵攻。

セルジューク朝と戦争中のビザンツから参戦要請が来る。どうせ役に立てないが承諾。
そして二国が戦っている間に南のドゥイ へ侵攻。

 1071年に併合完了。

 1074年、クマンから宣戦される((((;゚Д゚))))
すぐにビザンツに援軍要請して、ほぼ彼らの活躍で撃退!

 アラニアは南のイスラム国と北のクマンに攻められて削られつつあるので、便乗で攻めこむ。ごめんねごめんね。

 ガハッ(;゚Д゚)

 1082年、アラマン公国は三国によって分割され消滅した。チーーン。そういえばいつもセルジュークに負けるはずのビザンツが今回は勝っている。

 1083年、領土を接していたセルジューク朝から攻められる((((;゚Д゚)))。もちろんビザンツに助けを求め…

 彼らがガチで戦っている間に北東のイスラム国に侵攻する。先に侵攻するとセルジューク朝だけ参戦してきてビザンツは加わってくれない恐れがあった。

 セルジューク軍はビザンツに破れて少し戦勝点が入ったので白紙和平。1088年に領地一個残して併合。

 当代がだいぶ高齢になっていたので、戦後すぐに選挙制に変更。

現在の領地はこんな感じ。

 1090年の時点で気づいたらビザンツの中心部がファーティマ朝に変わっていた((((;゚Д゚))))いつの…まに…

クマンに再び攻められる。壊滅状態のビザンツに救援を求めると快く引き受けてくれた。

SIについて開発チームからのコメント

冒頭は割愛
原文はここ

この小規模な、完全にオプショナルなDLCヘのフォーラムの反応は、控えめに言って興味深いものだった。我々は様々な反応を予想していたが、あれほどまでにアツい反応は全く予想していなかった(注:別のスレッドでは、興味が無い人や、興味があっても買わないという人はいても、まさかみんなが怒るとは全く想像していなかったと述べている)。

このDLCは歴史よりも早く、そしてずっと強力なアステカ文明が1250年以降のどこかでヨーロッパに侵入することを特徴としている。ノルウェーのロングシップに似た怪しげな船団が到着すると、アステカの探検家はまず沿岸のランダムな支配者とコンタクトする。そして黒曜石のビーズやエキゾチックな装飾品と引換に土地を求める。その後直ぐに、巨大な侵攻艦隊がやってきて、統制された何万もの戦士を上陸させる。

最初の征服のあと、さらなる艦隊がやってくるだろう。モンゴル侵攻と同じように。アステカ人は、恐るべき血に飢えた神々を信仰している異教徒だ。征服された人々の中から生きたまま多くの生贄を捧げ、ヨーロッパと北アフリカの無思慮なムスリムとキリスト教徒を恐怖に陥れる。

このメインイベントに加えて、SIは様々な味付けのイベントを備えている。たとえば侵攻者が重要な都市を征服したり、新しい疫病をばらまいたり、大西洋の向こう側から新しいニュースが届いた時にそれは起きる。

アステカ人は固有の顔グラ、ユニット、盾紋章を持っている。典型的展開は、息切れするまで帯状に土地を征服し、それから当然、形勢を覆すための聖戦とジハードが起きるだろう。その時までにCuauhxicalli(携帯型の石のボウル)は罪のないキリスト教徒とムスリムの心臓でいっぱいになっているはずだ。

ではなぜ私たちはこのDLCを作ることに決めたのか?そう、アイディアの中心は初代CKとモンゴルイベントまで遡る。マップの東の端ちかくでプレイするのは危険だ。13世紀までに十分強大になっていなければ自殺するのと変わらない。だから、同じような、でも稀なイベントがマップの逆側にもあったらねとよくジョークを言っていた。この東西のアンバランスさを相殺するため、大西洋の外側から何かが攻めてくれば。アトランティス人とか、ディープ・ワンズとか、ヴィンランド人とか、アステカ人とか。

それは明らかにイカれた考えでゲームに実装しようなどとは思ってもいなかったが、同じようなアイディアをフォーラムに投稿した人がいて、エラい人が面白そうだからとゴーサインを出した。

では、ふつうのパラドックス開発チームの(特にベテランの)心の中を皆さんにちょっとお見せしたい。我々はみな歴史を愛しているし、歴史ゲームを作ることも愛している。けれども、人生の10年を重要な問題を調べるのに費やした時、たとえばアキテーヌ公爵位の請求権を持つ王の数だとか、ブローニュのユスタスの口ひげを確かめるとか、クール州のPOPが正しい文化と宗教で構成されてるかとか、ヴェーザー作戦が起きるべき時が来たらちゃんと起きるかとか、そんな時には、開発チームの中には時々変わったことをしたがる人もいるんだ。

それがCK2ではセントアンドリューがスコットランド人である理由で、EU3でゴンダルの王位を取り上げるミッションがアラゴンに存在する理由だ。そしてSIを作った理由なんだ。

でも心配しないでほしい。私たちは歴史ゲームであることを放り出したり、それをユニークなものにするため細部に注意を払わなくなったりするつもりはない。だからSIはオプションなんだ。気に入らないなら買わないで欲しい。史実重視派の懸念を和らげ、デマを否定するために幾つか述べて終わらせよう。

  • SIはちょっとしたお遊びのDLCだ。メジャーな拡張パックとは考えていない。
  • メジャーDLCをいくつ出すか今までに言ったことはない。事実、知らないんだ。それはほぼ君たち次第だから。
  • このDLCの開発は、通常のリリーススケジュールに全く影響を与えなかった。仕事の大部分は外注だったし、あるいは暇な時とか、時間が伸びた時に差し込まれた。
  • パラドックス・デベロップメント・スタジオは歴史ゲームの方向性を変えるつもりは全くない。

じゃあまたね、次にあうときはたぶん次のメジャーDLCについて話すことになるだろうね。