グルジア王国その4

ところでここに至って弟の孫がビザンツの皇帝として戴冠していたことに気づく。急遽、息子を後継者から廃して弟の息子(皇帝の父)を後継者に指名。選挙制なのでほかの二人の選挙人に賄賂を送って一人を転向させることに成功する。

これは甥ネルス2世が相続した後の弟(ネルス2世の父で皇帝の祖父)。

 しかしネルス2世の治世は内乱対処にあてられた。また独立運動だよ。

 首謀者は大王の弟の子。つまりいとこ。

そうこうしているうちになんと皇帝である息子がムスリムとの戦いで戦死><;
息子(ネルス2世の孫)が跡を継ぐ。選挙人は国内の人物を後継者に選びたがり、継承権第一位がコロコロ変わって安定しない。試しに別の候補者を投獄してみたが、別の国内の一族が新たな後継候補に選ばれてしまう。が、なんとか運良く孫が第一位の時に相続が起きる。

1215年、グルジア国王ネルス2世は死去し孫のバシレウス・ダミアノスが王国領を相続した。祖父はアイルランド系のカトリックで、孫はギリシャ系の正教徒だ。

ビザンツは南で戦争中だったので状況を整理するためいったん停戦する。

 所領多すぎのため再分配。高齢の曽祖父をチェルソン公に封じる。

 んでまた内乱。アゾフ公が独立を画策。文化がギリシャ系になったので目潰し、去勢が可能。

 ボヘミア王からは王位を取り上げる。目潰し/去勢してしまうと自動的に開放されてしまうのでタイトル剥奪は先にしないといけない。

 この頃の派閥。独立派を潰したあとなのにまた新たに設立されてる。

グルジア王位は相変わらず選挙制で、いちいち次を選ぶのが面倒だ。しかも王国の版図は帝国の北半分もある。そこでカルトリ公にグルジア王位を与える。この場合、ついていく領地はde jureな部分のみ。しかしこのあと反乱を起こされて家臣の一族に奪われていた。更にその後再びカルトリ公が奪い返していた。反乱起きすぎ

ついにイルハン国登場。1227年。

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