グルジア王国その3

 リャザン公は戴冠してルテニア王国となっていた。

旧ビザンツ領への侵入を試みる。しかし1万以上の傭兵部隊が登場して白紙和平。

その間にクマンとも戦う。ビザンツはもう当てにならず、その代わりに自力で対処できるようになっていた。

ニカイアの藩王国へも攻めこむ。これも撃退されるが…。
このあとポーランドがアナトリアへの聖戦を成功させて食い込んでくる。

1173年時点。ファーティマ朝はだいぶ駆逐された。

 この頃の派閥。独立派がやたらと反乱をこす。割愛しているけど4回ほど内乱が起きている。

5度ほど戦ったクマンの女王。

ついにブルガールも奪い、マップ中央部から 追い出すことに成功。長かったよママン…

同盟政策のために娘を送り込んだハンガリー王。25歳の若さでドイツ軍と戦い戦死してしまった。

 この頃の宗教分布図。テングリがまだだいぶ残っている。カトリックが広まりつつあるのは、宗派を無視してカトリック教国から嫁をもらい続けたためかもしれない。

また独立派が反乱。

 1193年。TYUMENというのが旧クマン王国。カスピ海沿岸のBURKAHが独立し、北部はウラディミール公とルーシ王国に制圧されて風前の灯。

 クリミア半島先端がビザンツから独立していたので侵攻。

 いつの間にか大王の称号を得ていた。天才持ちなのでかなり見栄えがいいが、天才がなかったら凡人です。

クリミア半島に唯一残っていた独立勢力はルーシ系なのでなかなか攻められなかったが、臣従を拒否したのでついでに征服してしまう。

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